ボブ・ディラン:日々の活動記録

ボブ・ディランの日々の活動を過去にさかのぼって記録。CLINTON HEYLIN氏の『A LIFE IN STOLEN MOMENTS』を底本にしています。

Tight Connection To My Heart ヴィデオ・クリップ撮影(その2)

1985年10月25日

プロモビデオ撮影でボブ・ディランと共演した倍賞美津子の「季刊リュミエール2 (1985年一冬)」に掲載された抱腹絶倒の下記インタビューが三笠会館で行われた。聞き手は山根貞男と蓮実重彦。

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倍賞 (略)でも、ことしはいろんなことやって面白かったけどボブ・ディランと話したのが最高よ。待ち時間に、〈飲みに行こうっていうんでね。もう監督が迎えに来ても、「ちょっと待て」 って言ってね。何論? あれは。宗教なんですよ、宗教論。「何でいまの女は外で働くんだ」って彼が言い出したんですよ。それを通訳に聞いてるわけ、通訳の子も結婚してたから。黙って聞いてたんだけど、そのうちに、何かあたしも言いたくなっちゃったのね。そこからいろんな話になって、宗教問題--ユダヤの何か混じってるみたい。それで宗教変わったり、いろんなこと彼もして、仏教をやってみたり、禅をやってみたり--、いろんなことを知ってて、それから十戒の話が出て来るのね。もうね、あたしなんか、頭の中、(頭の上に大きな輪をかいて)こんなになっちゃったの(笑)。それが三時間くらい。で、赤坂のロケ現場へ戻って来ても、まだ喫茶店に入ってしゃべってるわけ。「そのうちにアメリカへ来い」なんて言ってね。「いつでも俺んち来てもいいから、泊まる時は。遊びに来るか?」って言うから、「うん、行く」「そしたら、泊まりにおいで」なんて言ってね。「あ、子供もいたんだっけね」「そう」「子供もー緒に連れて来ていいから」なんて言ってくれてね(笑)。最後に、赤坂のド真ん中でキスしちゃった、二人で。どうしてああいうとこが載らないのかしら(笑)。


-------「フォーカス」も「フライデー」もバカですね(笑)。

倍賞 最高だと思わない? そんなの。道のド真ん中でキスしてんだもんね、二人で。同志っていう感じでさ。
 最初の頃は、二人とも口きかなかったのね。一日目なんか、ほとんど。二日目は「ヤア」なんて言うから「ヤア」なんて言ってさ。それで「あなたのご主人はレスラーか」 って言うから「イエス」なんて言ってね。チョチョチョチョッと話してるうちに、また話が途切れちゃうから、本読んでるわけ。で、「子供は何人いるか」とか言い出してね。「一人で、女の子で。あなたは?」「五人いるんだ。男三人、女二人」「いま奥さんは」 「いや、いまは結婚してない」とかなんか、そんなこと言ってね (笑)。そういう話から入ってったの。

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-------「フォーカス」に載ってたのは、ビデオの中のシーンの写真ですよね。倍賞さんが、ほんの短いコメントを話していて。

倍賞 あたし、「空気みたいに大きい人」ってだけ言ったの。初めてよ、こういうのでしゃべったの。絶対言わないって、しやべんなかったの。
「人間は死んで、僕が先に行くと、千年も万年も、君の来るのを待ってる。あなたはどのぐらい待っててくれるか」「あたし、待ってても百年しか待てない」って言ったの(笑)。いいでしょ? これ(笑)。これが載ったら最高なんだけどね。「あたしは待つことはできない」って言ったの(笑)。
 そうそう、モーゼが出て来たんだ。何かむずかしいんですよね。だから、もうちょっと通訳がうまかったら、ねえ。で、愛のこととかで、「じや、どうしてあなたは別れたんだ」と。そうしたら通訳の人が「そんなこと悪くて聞けません、失礼で聞けません」「いいじゃない、聞いたって! あたしが聞いてんだから!」って怒ったりして(笑)。そうしたら「君だって、いつこういうふうになるかもわからない、亭主と。そうしたら、何年でも待ってる」って。ロマンチックでしょ。詩人が、コノ(笑)。あの辺がもうちょっと噂立ってくれりや、最高だったわね。

 でも、みんな気つかってたね、ボブ・ディランに。ビリピリ。みんな「口きかない」 って言ってた。「笑い顔見たことない」って言ってたね。あたし、全然平気だったから。「えっ、そんな話したの?」 って言ったもんね、こういう世界の人たちは。「考えられない」って。可愛いんだよね。「コーヒー飲む?」なんて言うと、(下向いてうなずいて)なんてね(笑)。

 もう一回ぐらい会いたいなあ。今度はきちんとフォーカスさせてさ。させることないな (笑)。「フライデー」 にも絶対やめようね、ウソつきだから、あそこは(笑)。(マイクに向って)あれは、あたしんちの玄関の前を、あたしが自分ちの食料品を買って帰るのを、あなたたちが無断で写真を撮ったんですよね!(笑)全然知らないの、あたし。うちの前だもーん。でも、あれ、ずるいのね。ここがあの人んちの前ですよっていうことは、言ってないのよ。

 いい友達ですよ、ほんとに、ショーケンとは。やっぱりすごい才能ある人だと思うしね。でないと共演できないですよね。それをいちいちさあ。(マイクに向って)ご飯だって食べに行くわよ!(笑)バックがレスラーだって、ご飯食べに行く男ぐらいいるんだ、バカ!(笑)今度、ボブ・ディランの時なんか、教えてあげないもーん(笑)。あ、ここに教えればいいのか。

----そうそう(笑)。

倍賞 ここで特集組むの? どういうわけ?(笑)これ、スキャンダル雑誌になるじゃない、そしたら(笑)。
 でも、あれ、写真撮っときゃよかったねえ。キスしてっとこ。残念だなあ。心残りだわ!(笑)「サンキュー、バァーイ」なんて言って、プチュッなんてやったのに。
 でも、言ってたんですよね。「どうしてみんな世間っていうのは、こういうイメージだって、必ずきめつけたがるのか。それがすごく邪魔だ」って言ってた。自分のことも、こういう人間だとか。あと、新宗教っていうのが、アメリカで生まれてるみたいなの。何かあるでしょう、キリスト教でも。そこに属してるとかって、彼が。すごくいやだっていうことを言ってたね。それで、「ある日突然、僕は肩をたたかれて、メッセンジャーみたいにして歌ってるんだ」って言うわけ、ギター一本で。「あなたも俳優っていうもので、そういうふうに神からやられて、そういうことを演じて、みんなを喜ばせてるんだ」と。「いつ、たたかれたの? 肩」と言ったの、あたし。そしたら「ん、いま」なんて答えたりするわけよ(笑)。おかしいでしょ、この辺が。可愛いの。もう笑っちゃうのね。

----いやあ、きょうは独占スクープがあったり(笑)、長時間ありがとうございました。
(十月二十五日、三笠会館にて)

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季刊リュミエール2 (1985年一冬)


出典:関本洋司サイト
http://blog.livedoor.jp/yojisekimoto/archives/51768593.html

Tight Connection To My Heart ヴィデオ・クリップ撮影(その1)

1985年4月下旬
映画監督ポール・シュレイダーの監督で<Tight Connection To My Heart>のヴィデオ・クリップ撮影のため、東京へ行く。数日をかけて撮影がおこなわれたが、ディランもシュレイダーも結果に不満だった。しかしシュレイダーのスケジュールの都合で、それ以上の撮影はできなかった。ディランはのちに、「いい映画をつくる人なら、いいヴィデオをが作れると思った」と言っている。

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Tight Connection To My Heart (Has Anyone Seen ...

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Bob Dylan: 'Tight Connection' video shoot in Japan, late April, 1985

BRINGING IT ALL BACK HOMEレコーディング・セッション(その2)

1965年1月14日
ニュー・ヨークのコロンビア・スタジオA
おかしなことに1日で録音されたにもかかわらず、収録曲は2回にわけて----早い時間のセッションと遅くなってからの時間という具合に----、しかも別々のバンドをつかって録音されたようだ。
早い時間でのセッションではアコースティック形式を企図された6曲を除いてエレクトリック形式に増幅され演奏された。その中の<Bob Dylan's 115th Dream>の出だしでは、ディランはバックが出おくれたのに気づかず、スタジオにいた全員が爆笑したが、そのまま部分も削られずに収録された。

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写真はジョン・セバスチャンボブ・ディラン

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BRINGING IT ALL BACK HOMEレコーディング・セッション(その1)

1965年1月13日

ニュー・ヨークのコロンビア・スタジオA
ボブ・ディランは記念碑的作品《BRINGING IT ALL BACK HOME》レコーディング・セッションを開始した。
同伴したのは、数曲でプロデューサーのトム・ウィルソン、ベースにジョン・セバスチャンだけであった。だが、どのトラックもこの形式でアルバムに収録されることはいなかった。

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写真はジョン・セバスチャンボブ・ディラン

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The House Of The Rising Sun(その3)

1965年冬

イギリスのポップ・グループ、アニマルズをつれニューヨークのケトル・オブ・フィッシュヘ行く。エリック・バードンによれば、アニマルズのメンバーたちが初めてディランに会ったのは 「ヴィレッジのカバー・レイルかオディーヌズで」だった。

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アニマルズ

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The House Of The Rising Sun(その2)

 1964年12月8日

プロデューサーのトム・ウィルソンがコロンビアのスタジオでボブ・ディランの許可なく過去の未発表曲にエレクトリックのバッキングをダビングした。

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